まとまらない頭ん中

美しいものではなく、美しいと思う心がある。

声が生まれる―――声とムーヴメントのワークショップ備忘録

 先日、「Voice Emobiment in Tokyo ー声とムーヴメントのワークショップ」に参加した。声を出すこと。動くこと。感じること。聴くこと。それらを味わいつくす凝縮された180分。書くことでどのくらい追体験ができるのかはわからないけれどできる限り書いていこう。

体は楽器

場所は六本木ヒルズに程近いとあるお寺の本堂。あいにくの雨にもかかわらず集まったのは10人。簡単な自己紹介を終え、本尊見守る中、ワークは始まる。

 まずは足の外側を平行にして立ち、かかとから根っこが生えていることをイメージしつつ、膝を緩めて体全体を上下する。体のこわばってる部分があるとその部分で振動が止まってしまう。硬い所に意識して、体全体を緩めていくイメージを大切にする。呼吸は口から。

―――フッフッフッフッフッフッフッ

 そこに「音」を足していく。声を意図して出すのではなくて出てくるように。体を揺らして吐き出す空気が喉に当たって、掠れて「あ゛ぁっ」という「音」になる。
さらに、体のあちこちが空洞になっているようなイメージをしてそこに響かせる。足先だったり、すねだったり、ふともも、おなか、胸、のど…。響かせる場所で「音」が変わる。下の方なら低くなり、上の方なら高くなる感じがした。
体の持つ楽器の要素を強く意識した。

 

「声」が生まれる

 主催者のseshenさんいわく、現代人は自分の「声」に対してコンプレックスを持っている人がとても多い。けれど、それぞれの「声」は本当は素晴らしいのだと。だからこそ、それを知ってほしい感じてほしい楽しんでほしいという理由でこのワークショップを行っているという。

 

 ここまでのワークでは自分の内側からもれ出てくる「音」を体の内部に響かせた。私はそれを「声未満」だと感じていた。

まだ、呼吸の延長線上。まだ、こすれた摩擦音。まだ、そこに意思も意図もない。

その「声未満」の「音」を体内部に感じるとかすかに「声」がうまれる予感がした。そこには良いも悪いも、好みもない。「音」は体という「楽器」が奏でる唯一無二の音色。「音」を発し、響かせ、味わい、感じる。そこから生じるのは発声への衝動。私は「声」の誕生を待ちわびていた。

 

 次のワークへ入る前に「声」の出し方の説明。

・自分の中心軸を意識する。
・背中(背面)、後頭部(+腰)を意識する。
・大地を響かせるように。
・声を響かせると言うことは自分の体をマッサージするということ。
・口から出る(飛び出しちゃうような)声は出して気持ちよくないし、相手に届かない。
・ちゃんと中心軸から声を出す。大地とつながってる。
・スペースを与える(相手との距離感だったり、話すスピードだったり)
・3つのキーワード
 ○プレジャー:快感を感じる。自分の声で自分をマッサージして癒すことができる。
 ○ブレス  :声域の延長線上にあると思う。
 ○オープンボディ:体を開けば開くほど声を出すのが楽しくなる。

 

 ここで簡単なワーク。

・体を左右に揺らして、みんなと目を合わせる。
・体を回して、下に行ったときに吐く、逆回し。
・体を前後上下に揺らして、「ひょおおおおおおお~~!」と奇声だすのを繰り返す。
・手のひらに口がイメージ。
・その口から呼吸するイメージ。
・声を出すのではなくて 息が音になる。

 

 そして、自己紹介。二回目。色々なイメージを重ねて声を出していく。
 

 ―大地に根ざしているようなイメージ。

 ―両手から声を出すようなイメージ。

 ―おなかにも口があるイメージ。

 ―足の甲にもおっきな口があるイメージ。

 ―大地に紹介するようなイメージ。

 意識したイメージがそのまま声に乗る。全部がそれぞれに個性的な「声」になる。

「どんな風に?」と聞かれれば、「あなたのイメージどおりに」としか答えられない。きっと、上のイメージがピンとこない場合はピンときていない「声」が出るのだろう。

 「場」との一体感

 馬に乗っている人はお尻でコミュニケーションをとっていると言う話を聴く。大地に自分の声のバイブレーションを伝えると大地をマッサージしてるのとおなじ
(自身の本質につながるように声を出す)。

 そしてワーク。ペアになって、いろんなところに口があってそこから声が出るような感じで声をだして、好きなように動いていく。サポートする人はそれに合わせて動く(動かなくてもいい)今度はみんなで一斉に声をだし、動いていく。

 

感想のシェア

やってみたいワークのテーマ募集。
・自信を持てるような声の出し方を深めたい。
・声のバリエーションを増やすようなワーク。
・自分だけでなくてみんなの声の響きを味わいたい。

 

 ここで「声のバリエーションを増やすようなワーク」だけはseshenさんが簡潔明瞭に答えを示してくれた。それは本質につながると言うこと。鳥の声を出したかったら鳥の声を真似するのではなくて、鳥の本質につながること。

 『え?鳥の本質って…』と心でつぶやく。
 すぐにseshenさんが実践してくれた。言語化できないような音が耳に飛び込んでくる。それが小鳥のさえずりに変わり、刻々と流れる時間を可聴化するようにさえずりの表情が変わっていく。さらにはその小鳥がどんな場所にいるのか、朝なのか昼なのか、イメージが飛び込んでくる。その時感じたのは森の中にいるような錯覚。

 少し空気の冷たい朝、もやが木立周りに漂い朝日がそれらを抜けて地面を照らす。まだ真っ暗な部分が森には残されていて、そちらから聴こえる声は何ものかわからず不気味さを覚える。一方ではさわやかな朝を向かえ追いやられる闇は粘りを持って森の片隅に張り付いてる。そんなイメージ。

その世界に入り込んで、「鳥の本質って何ですか?」と聞くのはやめた。おそらく、自分が真摯にその対象と向き合わなければわからないから。向き合うことでしか理解できないことだと感じたからだ。

そして短い時間の森林浴を済ませた後は名残惜しくも最後のワーク。

 

 

 ワーク
 一人の声の響きに合わせて周りの人も合わせて声を出し、誰かが声を変えたらまた、
それにあわせて声を出していく。みんなの声が音楽になっていく。声の響きが空間とその場にいる人を包んでいくような印象を受ける。流れる時間と声と人と感情とが渾然一体となった場を感じる。

次は歩くきながら声を出す。まずは背面と腰を意識して、最後は胸から光があふれてるようなイメージで。ここで感じた心地よさは本当に興味深かった。声を出し、イメージを重ねることでこんなにも感じるものが多くなるのかと言うことに。


みんなで円になって、感想を二週。
円になって『パッ!』『パァ~』などと声を発して受け渡ししていく。(背面意識)

気を抜くと声は届かない。ちゃんと自分軸を意識した声が出せるようなワークだった。

こぼれるような声ではなくて、きちんと相手に届ける。時にはぶつける。時には放る。

意識することで声は変わる。その瞬間の自分も変わる。声こそすべてだと思ってしまうほどすべてがそこにあったような気がした。

 

 さて、ここまでぐだぐだと書いてきたので、締めくらいかっこよく決めたいなと思ったものの、『seshenさんサイコーっす!!参加者のみなさんめっちゃやべぇっす!!』程度の感想しか出てこない。笑。まぁ、それもよしとしよう。なにせ、こんな暑い夜だ。ビールがすすむに決まっている。

 

seshenさんはまた年末に日本へ来るらしい。今度はどんなワークショップになるのかが楽しみだ。